今季、青島みかんは、完売しました。どうもありがとうございまいた。
ミカンの花が咲き終わり、実がつきはじめる6月の予期せぬ台風、9月までの猛暑、サル、イノシシ、ハクビシンの襲来・・・。家周辺のミカン畑に、オレンジの輝きが本当に少なかったです。
来季は、実り多い年になることと、「ミカンは骨粗鬆症予防に効果有り!!」という記事(12月22日付け朝日新聞)に、ミカン人気の復活も同時に祈る、今日この頃。
近所のベテラン主婦を講師に、ウチの白菜に、ウチの柚子の皮や唐辛子などを入れ、白菜の塩漬けを作りました。
約1週間後、楽しみです。
今月1日、群馬から、リンゴが届きました。差出人は、硫黄島で25歳の若さで戦死した祖母の弟の恋人から。早速、仏壇に供えました。そんなやり取りが、私が生まれる前から続けられ、今年もウチの青島ミカンを間もなく発送します。
今日は、真珠湾を攻撃した開戦日。祖母の弟は、親族からの「気をつけろ、騙されるな」という言葉を聞きながらも、血気盛んに横須賀へ行った、と祖母が話していました。また、検閲が厳しく、弟が何処の戦地へ送り出されるのか、一切わからなかった、そうです。そこで、暗号のような手紙を送ったそうです。
『仙太郎(父の名)か、ソノ(母の名)か、箱根か?』と。南に行くことはわかっていたので、父島か、母島か、硫黄の香り漂う箱根か。
返信には、『箱根だ』と、書かれていました。
そんな祖母の弟が、戦地へ行く前に作ったのが、下記のみかん小屋。小屋は、昨年の台風で屋根が吹き飛び、いま、改修工事をしています。
第1回相模・伊豆ふるさと講話会「江戸川柳に見る源頼朝と伊豆相模の武士たち」と題し、郷土史研究家 鈴木 保氏を講師に開催されました。場面場面の江戸川柳の背景を解説戴きながら、ちょうどNHK大河ドラマ「平 清盛」で、頼朝が旗揚げする場面、ということも織り交ぜ、あっという間の1時間半でした。
例えば、天ん屋から徒歩10分にある石橋山古戦場を詠んだ川柳は、
敵よりは蜂を恐れる穴の中
朽木より命の親が飛んで出る
目前の不思議石橋山の鳩
石橋を踏み損なって七騎落
などが紹介されました。
歴史あるこの地をより大切にしていきたい、と思う今日この頃です。
天ん屋の裏山にある枇杷の木の下、木々の根がむき出しになっています。これは、イノシシが好物のミミズを探すために、土を掘り返したものです。これで、大雨が降ると・・・石垣が崩れ、たいへんなことになります。
このような状況が、米神地区だけでなく、周辺地域だけにも限らず、全国各地で問題となっています。どのような共存スタイルが良いのか。鍋にするにも、愛護するにも、歩み寄る時、と思う今日この頃。
先月、近所の方から石の臼を戴きました。ようやく活躍する時が来ました。
まず、もち米を釜戸で蒸かし、蒸かしたもち米を臼へ。練りに煉ってから、杵で一生懸命搗きました。
搗きあがったお餅は、野菜畑から収穫した大根で「からみもち」にしました。味はもう、最高。これで、年末に向けて、準備万端です。
亡き祖母の最後と思われる「一輪挿し」の素焼き前の作品を見つけ、素焼きし、本焼きし、今日、窯から取り出しました。ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患う前に作ったと思うので、約17年前の作品が焼きあがりました。とても感慨深いです。早速、仏壇に供えました。
昨年の台風で屋根が吹き飛んだ小屋を直しています。この小屋は、祖母の弟が、戦地「硫黄島」へ赴く前に、みかんを貯蔵するために建てた土壁の小屋。屋根を直し、柱を補強し、みかん狩りや野菜畑作業の休憩所、大地震の避難所としての活用を考えています
写真は、祖母が最後に制作したと思われる「一輪挿し」です。65歳から始めた趣味の陶芸。亡くなる2年前まで制作に打ち込んでいた陶芸小屋から、作りかけの作品を偶然に見つけ、17年ぶりに素焼き、先日色付けしました。週末に本焼きします。
うまく焼き上がるか、とても楽しみです。
*毎月、陶芸をしています。ご一緒にいかがでしょうか。
メール:k.matsumoto@noukatsu.com
岩手県山田町の山田八幡宮にある漁撈絵馬には、「相模米神」と記されている・・・・なんでだろう?
そんな絵馬をご縁に、輪が広がっています。改めて、みかん山から相模湾を眺めると、地球は丸く、海はつながっているんだな、と思う深まる秋の夕暮れ。
千葉金谷の「鋸山」へ登りました。20年以上参加している小田原の「山岳集団ベルククラブ」が主催。いつもは、車いすや身体に障害のある方々とボランティアで数百名の規模の登山ですが、今回は小規模登山会、ということでバス1台。雨の予報を振り切り、小回りのきいたゆったり登山でした。程よい筋肉痛です。
先日、岩手県の方から「お問い合わせ」メールを戴きました。
「岩手県山田町にある山田八幡宮に納めてある漁撈絵馬(写真↓)と、米神の正八幡神社にある絵馬が“兄弟”なのでは?それを確かめに、今月小田原へ行こうと計画しています」と。
確かに、米神正八幡神社に漁撈絵馬はあります。関東大震災後、鰤の日本一の漁場となった米神の絵馬と、東北大震災で壊滅的な被害を受けた山田町に“兄弟”がある。何かご縁を感じます。
9月30日(日)の仲秋の名月に向けて、準備をしました。
野原にススキを取りに行き、祖母の作った花瓶に活けました。そして、団子を15個作り、縁側に供えました。
幼い頃、祖母が準備していた光景を思い出しました。
秋雨の中、米神の御婦人方を中心に、第2回米神天ん屋寄席「福祉亭会護 独演会」が開催されました。
「目黒の秋刀魚」をはじめとする馴染みの話しから、福祉に関する創作落語まで、休憩を挟んで約1時間の独演会は、雨を吹き飛ばす、笑いあふれるものでした。ファンの御婦人からは御捻りの片浦ハウスみかんが福祉亭会護さんに送られました。
次回は、年末か年明けでよろしいでしょうか?
厳しい残暑が続いています。
今日は彼岸の入り。暑さ寒さも彼岸まで、となるのでしょうか。
みかん畑で彼岸花を見つけました。草木は、本格的な秋に向けて始動しているようです。
今日、祖母の陶芸窯に17年ぶりに「火」が入りました。
祖母が亡くなって15年経ちます。亡くなる2年前にALS(筋萎縮性側索硬化症)を患い、呼吸器をつけて入退院を繰り返した最期でした。
祖母は、65歳を過ぎた昭和57年頃、小田原市社会福祉協議会が主催する「陶芸教室」に通い、1年後にこの陶芸窯を購入し、教室に通った仲間2名と一緒に、自宅で創作活動を開始しました。遺した作品は、箸置きから傘立てまで、300以上になります。今でも、湯呑みや刺身皿は、大活躍です。どこへ行くにもメモと鉛筆を持ち歩き、気に入った器があれば模写し、暗くなるまで陶芸小屋で創作活動をしていた姿が思い出されます。
そんな祖母が愛用した陶芸窯をもう一度復活させ、デイサービスなどで作った陶芸作品を焼く。うまく焼き上がるかどうか。祖母が空から見守っている、みたいです。9月3日に素焼き、色付け後、本焼きし、9月下旬には、作品が完成する予定です。
山田呉服店で、店主オリジナル「人車鉄道手ぬぐい」を買いました。明治30年(1897年)前後、小田原~熱海間を3時間50分で走った「豆相人車鉄道」。当時、我が地域「米神」に駅があり、駅近くでトコロテンを売っていたのがウチだった、らしい。芥川龍之介、国木田独歩も食べたのだろうか。
だから屋号は「天ん屋」。今は、デイサービスの名前で使用しています。
みかんの木の天敵、「ゴマダラカミキリ」を見つけました。
小学生の夏休み、この虫の「首」を農協に持っていくと50円くれる、そんな時代がありました。
カミキリ虫のメスが、みかんの木の根元に卵を産み、幼虫が幹を食いつくし、丹精こめたみかんの木を瞬く間に枯らしてしまう、とんでもない害虫です。
見つけ次第・・・・よろしくお願いいたします。
自家製きゅうりは、夏日を過ぎて次から次と大きくなっています。そこで、きゅうり1キロを使い、「きゅうちゃん」を作ってみました。
特製調味料・・・砂糖(200g)、減塩醤油(300cc)、酢(100cc)、味醂(70cc)、出汁の素(10g)、生姜の千切り(多めに)
上記の「特製調味料」を沸騰させ、ボールに入れた輪切りにしたきゅうり1キロの中に浸します。3時間後、浸した特製調味料だけ再度沸騰させ、またきゅうりに浸します。これを4回繰り返したら完成です。
これからの真夏日に、お酒のおつまみに、最適です!
今日の昼ごろ、近くの農家の方が、農道でアンテナを手に歩いていたのが見えました。箱根から湯河原にかけて縄張りとしているサルには、発信機が付いています。『近づいているかも』ということでしたが・・・
午後4時過ぎ、東海道線線路をサルの集団が歩いていました。いつもの移動かな?と思っていましたが、時すでに遅し。集団の一部が野菜畑に入り、収穫間近のトウモロコシを齧って下に捨てていました。植えている半分がダメになりました。トマトやナス、キュウリにピーマンなどは食べずに・・・・
「ヒト」がトウモロコシを盗んで食べたら警察に捕まりますが、「サル」は・・・
明日、ロケット花火を購入します!!